情報空間における体験とユーザビリティ

//情報空間における体験とユーザビリティ

私たちは道具を「使って」いるのか?

前回の記事(デジタライゼーションの意味 – 情報空間と「道具」)において、デジタル化によって情報空間と化した世界では、道具が(ユーザの関与を必要とせずに)自ら効用を生み出すという構造が生まれる可能性を示唆しました。

身近な例でいうと、Googleの検索機能において、我々は「求めている情報に関して、検索結果を表示してもらう」という効用を得ていますが、どのように検索してもらうのかという点について働きかけることはほとんど不可能です。

 

現時点では、検索結果の中から自分に適した情報を選択することは可能ですが、より参照を推奨される情報はGoogleによって提示されています。

そもそも検索結果に「順位」が存在するという時点で、私たちの道具の使い方に対する思考はかなり規定されていると言えます。(キャプチャは「デジタル化 意味」で検索した際の検索結果。Wikipediaが推奨される情報として表示されている)

digization-search-result

 

もちろん、木を切る斧は人間の体の使い方を規定しますし、道路は効率的な移動を人間に促します。イチローのように野球バットを高度に使用できる人もいますが、多くの人はそうではないでしょう。

その意味では程度の問題とも言えますが、道具を使う人間を構造的に阻害しかねない、また、当たり前すぎて阻害が発生しているということを意識させないこと(人間疎外の秩序化)が情報空間における道具の特徴です。

 

道具の使用ではなく、体験の消費へ

人間が道具を用いて効用を得る場合、私たちが使っているのはあくまで「道具」です。しかし、道具自体が効用を生み出し、その効用を人間が得る場合、私たちが使っているのは道具というより、道具が生み出す「体験」だと言えます。

私たちはもはや道具を使わず、体験を消費する存在となる。「モノからコトへ」という表現は使い古されていますが、情報空間においては、それは「コトへの拡張」ではなく、「コトへの転換」を意味しています。

 

デジタル化が進み、情報空間となった世界において、「良い」体験とは何か?これはビービットにとって、とても大切な問いだと思っています。

 

ビービットが体験の品質を扱うとき、通常はインターフェースを扱っています。インターフェースで発生している体験を丁寧に扱うことで、体験の品質を高めるというのが基本的なアイデアです。(参考:ビービットの体験設計とユーザビリティ

ビービットは、企業が体験を生み出す仕組みを扱う顧客体験マネジメント(Customer Experience Management、CEM)の支援も行っていますが、体験を生み出す仕組み自体も人間が何かとインタラクションすることによって成立している以上、根底にある構造は共通しています。

 

しかし、道具が自ら効用(体験)を生み出す情報空間における道具は、人間と何かのインタラクションを扱うこととは根本的に異なる気がしています。例えば、私がGoogleの社員だったとしても、誰にいつ、どのような検索結果を表示するかはコントロールできない気がする。

最適な情報を表示し続けることで、いつか私たちは考えることを放棄してしまうかもしれない。それが良いことなのか、悪いことなのかもわかりません。

 

それらはつまり、体験を生み出す仕組みに宿る「思想」がより重要になることを示唆しているように思います。「情報空間におけるユーザビリティ」については、まだ私たちの中にも答えはありません。ただ、考え続けることは必要だと感じています。

By |2017-08-19T23:12:23+09:008月 9th, 2017|最近のビービット|